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東京文化会館と年末のアメ横

榎田基明

年末年始のお休みで帰省の途中、3カ月ぶりに東京に寄りました。

また上野公園です。今回の目的は前川国男設計の東京文化会館です。

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昭和30年代を彷彿とさせる平たい明朝体

エントランス側から見ると力強い横の直線ですっきりと低く見えますが、厚みのある庇は、なんとなく前川の師匠ル・コルビジェ設計のユニテ・ダビダシオンの造形に通じるものがあるような…

写真:東京文化会館のエントランス側の外観
写真:マルセイユのユニテ・ダビダシオンの足元

マルセイユのユニテ・ダビダシオンの足元(2011年5月撮影)

エントランス側からは全く分かりませんが、ホールの裏側から見ると巨大です。

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エントランス側とホール側との関係はこんな感じです。

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上野駅公園口側から入ったロビー。高くて天井が印象的で、青地にランダムに埋め込まれた照明は天の川のイメージだそうです。何度行ってもつい見上げてしまいます。

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まっすぐ進むと天井が極端に低くなり、ホワイエへの入口、いわゆる“チケットのもぎり”の場所になります。上部は中2階のようになっていてレストランがあります。

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ホワイエに入るとまた天井が高く開放的になり、ハレの空間に入ったように感じます。

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ホワイエの天井はロビーや中2階のレストランと連続し、天の川の下を歩いてホールに入っていきます。大ホールの周囲の床はホワイエからさらに低くなっていて、そそり立つ大ホール壁面がより高く見えます。ホワイエに林立する柱は上野公園の森の中にあることをイメージしたそうで、奥のホールはなんとなく神殿のように見えます。

大ホールには小中学生の頃に2度ほど入ったことがあるはずですが、でも内部は何も覚えていません。機会があればあらためて入ってみたいと思います。

写真:ロビー側から見た大ホール

ロビー側から見た大ホール

写真:ロビー反対側から見た大ホールとホワイエ

ロビー反対側から見た大ホールとホワイエ

写真:中2階レストランの天井

中2階レストランの天井

レストラン奥の席からは東京文化会館と正対して建つ国立西洋美術館が見えます。

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国立西洋美術館は休館日で前庭に入れませんでしたが、年明けには常設展を見ていこうと思います。本館2階のイタリアの中世絵画になぜか惹かれます。

写真:国立西洋美術館

東京文化会館の横から上野公園を南へ抜けていくと途中に清水観音堂があり、かつて寛永寺の境内であったことを思い起こさせます。

写真:寛永寺清水観音堂

上野公園の南端の階段からの眺めは俗世間に戻って行くような感じです。

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久しぶりに年末のアメ横をのぞいてみました。

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関西の方は「なんやこれ?」と突っ込みたくなる真っ赤な酢蛸。

写真:店頭の酢蛸

東日本、特に北関東ではお正月になくてはならないものです。昔は年末になると1匹丸ごと樽に入ったものが親戚などから届けられましたが、さすがに最近は見なくなりました。食べる家庭も少なくなったのではと思っていましたが、どぎつい色に思わずカメラを出してしまいました。

京都くらしコープ上京地域懇談会&忘年会

榎田基明

理事を務める京都高齢者生活協同組合くらしコープの上京地域懇談会&忘年会に参加しました。上京区在住の組合員は60名程いるのですが、集まったのは7名と少なめでした。職員さんの手づくり料理にビールとお茶で乾杯。松竹撮影所で大道具を担当し、「必殺仕事人」や「鬼平犯科帳」のセットを組んだこともあるという男性の面白い裏話は尽きることがなく、お昼から3時間近くおしゃべりに花が咲きました。

写真:地域懇談会&忘年会の様子

西賀茂・神光院

榎田基明

京都市の景観重要建造物の調査で西賀茂の神光院に2度ほど行きました。

神光院は、正式には「放光山神光院」という真言宗、つまり弘法大師・空海を本尊とするお寺で、地元で「西賀茂の弘法さん」呼ばれています。京都で弘法さんといえば東寺が有名ですが、仁和寺と神光院を加えた三寺を「(京の)三弘法」や「京都三大弘法」といい、弘法さんの縁日の毎月21日には江戸時代中期に始まったという「京の弘法巡り」が行われています。

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神光院の山門。石碑には「右西賀茂神光院是ヨリ約五町北西ヘ 厄除弘法大師道 歌人蓮月尼隠栖之地」とあります。

かつては農村地帯だった西賀茂も区画整理事業によって宅地化が進んいます。賀茂野菜の産地ですが、なんとも雑然とした無秩序なまちになってしまっています。区画整理事業は綿密な土地利用計画とセットでやらなければ意味がないことを実証しているようです。そんな中で、神光院とその西の山麓にある西芳寺一帯はかつての面影が残る場所です。

山門を入ると正面の客殿に向かって敷石が延びていますが、中央の四角い植え込みで行く手が阻まれます。客殿の入口への視線を遮るためのようですが、石畳が迂回せずに途切れているのが面白いです。

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神光院には明治維新の頃、歌人・陶芸家として知られる尼僧・大田垣蓮月が隠栖していた蓮月庵と呼ばれる茶所が残されています。木立越しに垣間見える庵は隠栖という言葉よく似合う佇まいです。

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蓮月庵も調査対象ですが、今日の目的は右手前に建つ「御香水」です。2m四方の柱と屋根だけの建物ですが、図面にするためには結構細かく測らないといけません。結局、小一時間かかってしまいました。

写真:御香水の基礎部分

11月末は紅葉の盛りですが、色づいていないものも多くありました。これはこれで美しいものです。

写真:神光院の紅葉

12月に入ってから再調査に行くと、山門に「終弘法」と「初詣」の貼り紙がしてあり、年の瀬が迫っていることを感じました。

写真:「終弘法」と「初詣」の貼り紙

関西大学の村野藤吾

榎田基明

私の母校である関西大学には、村野藤吾設計の建物が40棟近くあるそうです。お恥ずかしながらつい最近まで知りませんでした…

かつて在籍した地理学教室の例会があるということで久しぶりに大学構内に入り、いくつかの建物を見てきました。京都に移ってからも2~3カ月に1度は近くに行くことがありますが、構内に入るのは2009年夏の交通権学会以来です。

阪急関大前駅の南口から急斜面を上ると関西大学会館(大学法人本部)があり、その並びに社会学部の学舎があります。どちらも村野藤吾設計ですが、かなりどっしりとしていて私が持つ村野藤吾のイメージとはちょっと違います。

写真:関西大学会館

関西大学会館

写真:社会学部の学舎

社会学部の学舎

関大といえばこの円形の建物「簡文館」でしょう。私が受験した頃は大学案内の表紙を飾っていました。今は関西大学博物館などに利用されていますが、入学した時は図書館でした。

写真:簡文館

簡文館

左奥は現在、芝生の広場になっていますが、在学時は法・文学部の第1学舎があり、それも村野藤吾の設計だったそうです。思い出してみると、中庭を囲むロの字型の構成に端正なデザインでなかなか良い雰囲気の校舎でした。

第1学舎左手の小教室の建物と奥の大教室の建物、写真にはありませんが、この手前にある岩崎記念館と小教室の裏側の研究棟も村野藤吾だそうです。

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この他に、円神館、特別講堂、体育館などがありますが、例会の開会が迫っていたのでここまで。いずれまた続編を…

京都モザイク展

榎田基明

10月にミセノマで作品展をしていただいたマルモザイコの外村まゆみさんが呼びかけた国内外の30組のアーティストによる作品展が、中京のしまだいギャラリーで開催されました。

しまだいギャラリーは、慶長年間に糸割符商として創業し、江戸中期からは酒問屋を兼業したという「嶋薹」の町家と土蔵をそのまま活かし、さまざまな展示に使われています。シャネル主催のイベントが行われたこともあります。

写真:会場のしまだいギャラリー東館

京都モザイク展の会場になったしまだいギャラリー東館。玄関脇の大きな「京かぶら」のモザイク作品が人目を引いていました。

ミセには、京都モザイク展のパンフを飾る「白象図」と、アトリエのある北山で9月に開催された「新町モザイクまつり」に向けて「人」をテーマにした元町小学校の生徒達の作品が展示されていました。

写真:ミセの展示

土蔵での展示は、国内外30組のアーティストの作品です。

写真:土蔵での展示

モザイクといってもモチーフも手法もさまざまです。

なかでも「笑顔」と題された立体的なカワウソが目を引きます。下から見上げると胸に魚を抱えて嬉しそう。何とも愛らしい姿です。

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櫻井真智子「笑顔」

岩石を打ち付けたような大胆な手法の人物像。しかし顔は細かい砂のような粒子で描かれています。

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Olivier Perret: zones de recherches

貝殻を砕き、突き刺したような手法の作品。

Sergio Policicchio: Oiga Zakharova

元町小学校の生徒達の作品は作家とは違った魅力があります。

写真:元町小学校の生徒達の作品