投稿者「桜井郁子」のアーカイブ

奈良・吉野へ出かけてきました

桜井郁子

今年は木造のことを改めて学ぼうとMOKスクールに通い始めています。今日は吉野の山へのバスツアーがありました。

写真:吉野杉の山

吉野杉の植林の特徴は、密生・多間伐・長伐期で、確かに樹齢200年以上の吉野杉が生い茂る様は圧倒的です。密生させることでゆっくりと生長させて年輪の幅が密になります。早い段階からこまめに間伐することで、節の少ない材木になります。50年60年ではまだまだ使える材にならないという、気の遠くなるような時間が流れていました。そしてこれだけ密生していても思いの外明るいのも手入れが行き届いているという証拠。日本の山が荒れていると言われて久しい中にあって、吉野杉のプライドを垣間見た思いです。

写真:味噌醤油工場の木桶

吉野杉は樽丸(酒樽などの側板に使われる材料)で特に有名でした。吉野杉の桶(ふたがあるものを樽、ないものを桶とだいたい呼び分けているようです)を実際に使われている味噌醤油工場を見学。さらに樽丸の製材工場で製造過程を見学しました。まずは大きな丸太から、バームクーヘンのようにというかみかんのようにというのか、おおまかに割ります。赤身と白太の境目あたりを使うのだそうで、年輪に沿って曲がった包丁のようなものでさらに割っていきます。そして「セン」という道具を使って厚みを均一に仕上げたら、完成。これが樽屋さんに運ばれて樽や桶が作られるのだそうです。

写真:樽丸の製作工程(丸太を大まかに割る)

樽丸の製作工程(丸太を大まかに割る)

写真:樽丸の製作工程(包丁で年輪に沿って割る)

樽丸の製作工程(包丁で年輪に沿って割る)

写真:樽丸の製作工程(センで仕上げる)

樽丸の製作工程(センで仕上げる)

そして最後に製材所にお邪魔して実際の製材を見せて頂きましたが、今回はこの樽丸の行程を見せて頂いたのが非常に印象に残っています。すごい技術です。

もうひとつ忘れてならないのは、お昼ご飯のお弁当。

写真:竹の皮に包まれたお弁当

竹の皮に包まれた素朴なお弁当でしたが、モミジの枝が挿してあって、いかにも「森の恵み」といった風情です。葉っぱビジネスが成功するのも分かる気がしました。

昨年のお仕事が形になりました

桜井郁子

メーデーで行進するコース沿いに、昨年、実施設計を担当した東堀川交番があります。ひと・まち設計より「一緒にやりましょう」と声を掛けて頂きました。こうして実物ができあがってみるとうれしいものです。 写真:東堀川交番 背後に続くのは堀川高校のクラブハウス。高さをだいたい揃えて、屋根の形も同じような勾配にしてあります。建物の幅が狭いので、中途半端に小さな三角屋根が乗るより、こういう連続性は心地よいかなと考えました。 ただ、 京都市の景観政策課で「片流れは屋根ではない」とまで言われてしまいました。片流れ屋根は”京都らしくない”のでしょうか。今回のこの場所であれば、という場所性を指摘してようやく実現。立ち上がってみて、改めて「よかった」と思いました。

モザイク展

桜井郁子

モザイク教室の作品展が開かれました。

中日の5/5には交流パーティがあり、それぞれの作品について作った本人から一言ずつの解説がありました。イメージ通りだったりイメージとは違ってびっくりしたり、それぞれの個性がひかる、華やかな展示となりました。

写真:モザイク展の様子

写真の中には私の作品が二つ、写っています。さて、どれとどれでしょう?

住宅の一年点検

桜井郁子

昨年の4月に改修工事が完了したお宅の一年点検に伺いました。

床暖房のある部分のフローリングが伸び縮みして、少し段差がついています。見た目には分かりにくいですが、手でなぞると確かに気になるかも知れません。布をあてて金槌でコツコツと叩いてなじませてみました。もう少し様子を見て頂くことにしました。

勝手口の扉のレバーがひっかかるとのことでしたが、機密性の高い扉なので、少し力がかかるようでした。油を差して回転部分の動きをスムースにしてみましたが、影響はない模様。ふわりと閉めてはダメで、ガチッと閉めて頂くしかないようです。

玄関先の土台部分にある穴から虫が出入りしているとのことで、コーキングを詰めてもらいました。以上3点、施工者さんに作業して頂き、建て主さんご夫妻とこの一年の暮らしぶりなどをお話しを伺いました。

居間から台所にわたって設置された床暖房のおかげでずいぶんと快適になったこと、天井を勾配天井として立派な梁を見せたことで気分がよくなったことなど、とても満足されている様子でこちらもうれしくなりました。

玄関には野の花が生けられ、奥さまの手作りの犬の置物が飾られています。うららかな風が吹き抜けていきました。

写真:F邸玄関

「京の職人-匠のしごと-」で鳳凰堂へ

桜井郁子

京都高齢者大学の「京の職人-匠のしごと-」という講座が始まりました。第1回目は「よみがえる鳳凰堂」ということで、宇治にある平等院鳳凰堂の修復をされた澤野道玄さんのお話しを聞きました。

写真:平等院鳳凰堂

まずは実物を見ながらの解説です。鳳凰堂とひとくくりに呼ばれますが、中堂、左右の翼廊、尾廊の4棟からなる建物なのだそうです。また創建当初は、左右の翼廊の柱は水中に建っていたそうですが、傷みが激しいため基壇が作られたそうです。なるほど、そう聞くと確かに、屋根がひとつながりになっているよりも軽やかだし、阿字池からすっと柱が伸びていく姿は浄土の建物のイメージに近い感じもします。池の南側にある六角形のあずまやは、平等院の修復の際に出た材を再利用したものだとも聞きました。

写真:平等院四阿

近くに会場を移し、映像を見ながら塗装の技術について詳しくお聞きしました。膠(にかわ)と明礬(みょうばん)に、赤色であれば丹土(につち)、白色であれば胡粉(ごふん)を溶いて使われています。同じ酸化鉄による赤色でも、丹土は黄土でベンガラは鉄鉱石から作られます。また鉛を加熱することで得られる鉛丹も赤色の顔料としてよく使われますが、ここ鳳凰堂は調査の結果、丹土であることが判明したのだそうです。

業務としては鳳凰堂の修復(塗装)だけですが、このように調査や実際の発色を試すことなど、準備に時間とお金が大変かかっているそうです。「今さえよければ」ではない歴史を相手にした仕事にこちらの気も引き締まる思いでした。国宝の鳳凰堂でさえも60年ぶりの修復工事で、これではさすがに傷みが進むため、もう少しメンテナンスにお金をかけるよう要望を出されているそうです。ただ、日本人の風潮として、本来の派手な色遣いだけでなく古びたものも「ワビ・サビ」と称して愛でることから、今回の修復工事から10年してようやく「日本的見ごろ」になるでしょうと笑っておられたのが印象的でした。