「京の職人-匠のしごと-」で鳳凰堂へ

桜井郁子

京都高齢者大学の「京の職人-匠のしごと-」という講座が始まりました。第1回目は「よみがえる鳳凰堂」ということで、宇治にある平等院鳳凰堂の修復をされた澤野道玄さんのお話しを聞きました。

写真:平等院鳳凰堂

まずは実物を見ながらの解説です。鳳凰堂とひとくくりに呼ばれますが、中堂、左右の翼廊、尾廊の4棟からなる建物なのだそうです。また創建当初は、左右の翼廊の柱は水中に建っていたそうですが、傷みが激しいため基壇が作られたそうです。なるほど、そう聞くと確かに、屋根がひとつながりになっているよりも軽やかだし、阿字池からすっと柱が伸びていく姿は浄土の建物のイメージに近い感じもします。池の南側にある六角形のあずまやは、平等院の修復の際に出た材を再利用したものだとも聞きました。

写真:平等院四阿

近くに会場を移し、映像を見ながら塗装の技術について詳しくお聞きしました。膠(にかわ)と明礬(みょうばん)に、赤色であれば丹土(につち)、白色であれば胡粉(ごふん)を溶いて使われています。同じ酸化鉄による赤色でも、丹土は黄土でベンガラは鉄鉱石から作られます。また鉛を加熱することで得られる鉛丹も赤色の顔料としてよく使われますが、ここ鳳凰堂は調査の結果、丹土であることが判明したのだそうです。

業務としては鳳凰堂の修復(塗装)だけですが、このように調査や実際の発色を試すことなど、準備に時間とお金が大変かかっているそうです。「今さえよければ」ではない歴史を相手にした仕事にこちらの気も引き締まる思いでした。国宝の鳳凰堂でさえも60年ぶりの修復工事で、これではさすがに傷みが進むため、もう少しメンテナンスにお金をかけるよう要望を出されているそうです。ただ、日本人の風潮として、本来の派手な色遣いだけでなく古びたものも「ワビ・サビ」と称して愛でることから、今回の修復工事から10年してようやく「日本的見ごろ」になるでしょうと笑っておられたのが印象的でした。