榎田基明
町並みゼミ第1日目は、開会前に前日の理事会参加者による会津若松の七日町界隈の見学に参加しました。
七日町は「なのかまち」とも「なぬかまち」とも呼ばれ、越後、米沢、下野方面への街道口として江戸時代には旅篭屋や商家が建ち並び、明治以降は商業の集積地として多くの銀行が出店したりしました。昭和後半にはかなり衰退していましたが、古い商家建築や銀行などの近代建築が多数残っていることから最近は訪れる人も増えているようです。確かに20~30年前は満田屋と漆器の白木屋ぐらいしか目につきませんでしたが、店舗がかなり増えていて、のぞきながら歩くのが楽しくなりました。
最初は、田楽で知られる「満田屋」です。夏に郷里の栃木へ帰省すると必ずといってよいほど行くお店です。餅、しんごろう餅(ご飯を半分つぶして餅のようにしたもの)、里芋、身欠きにしん、厚揚げ、こんにゃくなどを長さ30cmもある太めの竹串に差し、柚子みそ、甘みそ、じゅうねん(エゴマ)みそ、山椒みそなどをつけて囲炉裏で焼いて食べます。1本1本が大きいので4~5本でお腹一杯になります。
次は「渋川問屋」です。元は商家だった建物を郷土料理の店としてリニューアルしています。店は大正時代、土蔵は明治時代の建築だそうです。土蔵に使われているのは蔵の街・喜多方の土蔵によく使われている三津谷煉瓦です。
銀行など洋風の建物も幾つかありますが、これは呉服屋さん。今はスポーツ用品店に使われています。
七日町の西端にある阿弥陀寺は慶長年間創建という古い歴史を持つ浄土宗のお寺です。本堂左に見える少し変わった建物は、鶴ヶ城(会津若松城)にあった「御三階」を廃城後に移築したものです。外観は3階ですが内部は4層になっています。城内では密議所や物見櫓に使われていたそうです。
途中、会津木綿のお店があったので、名刺入れを購入しました。柔らかい手触りで、ホッとします。
他にも魅力的な建物やお店もありましたが時間が来てしまい、下郷町の会場へ向かうことにしました。途中、町並みゼミ第2日目の会場のひとつになる大内宿で昼食にしました。
大内宿は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。今はほとんどの家が蕎麦屋や土産物屋になっていて、休みともなると観光客が多く、というか多すぎるような…地元で生活が成り立つようになったのはよいことですが、なんとなく違和感もあります。
私が初めて大内宿に行ったのは小学校5年生(1974年)の5月頃でした。今では一般的になった町並み保存も、わずかな地域で動きが始まったばかりの頃です。訪れる人もなくお店もなかったように記憶しています。その時、父が撮った写真が残っていましたので、同じ場所で撮影してみました。
1974年当時の写真をもう1枚。大内宿を背に立っている3人の中央が小学生の私です。
同じフィルムにこんな写真もありました。おそらく中山風穴の展望台から見た下郷町の農村風景です。中央を国鉄会津線の蒸気機関車が牽く貨物列車が走っています。
さて、ようやく町並みゼミ開会です。初日は全体会で対談、開催地や各地からの報告、地域ブロック別の会議、交流会などです。
今年度、全国町並み保存連盟では、小樽運河の保存の先頭に立ち、全国の運動にも大きな影響を与えた故・峰山冨美さんの業績を顕彰する「峰山冨美賞」を創設しました。その1回目の受賞者に、広島県福山の鞆の浦の保存活動を続けている松居秀子さんが選ばれ授賞式が行われました。
松居さんとは町並みゼミを通じて15年ほどのおつき合いになります。これといって何も支援はできていませんが、時々鞆の浦に行ってお話を聞かせてもらうことがあります。一見、おっとりしていますが、活動的で芯の強い方です。鞆の浦はここ2年ほど行っていないので来年は久しぶりに行こうと思います。