カテゴリー別アーカイブ: まちづくり

第39回全国町並みゼミ(その2)

榎田基明

町並みゼミ2日目は5つの分科会に分かれます。会津田島を会場にした第5分科会に参加しました。

会津田島のまちの前に、車で20分ほど山中に入ったところにある奥会津博物館の見学です。民俗資料の展示の他、野外に南会津の古民家が5棟ほど移築・展示されています。どの建物も維持のため、地域の女性たちが毎日、囲炉裏に火を入れているそうです。

旧山王茶屋は会津津と下野の国境、山王峠にあった茶屋本陣を移築したもので、来館者のための古民家レストランとして使われています。

写真:旧山王茶屋

旧山王茶屋

木地師が山中に留まって住まい仕事をするための木地小屋が復元されています。この建物は屋根も壁も茅ですが、実際には笹の葉で作られることが多かったそうです。

写真:木地小屋

木地小屋

江戸中期の旧杉原家住宅は昭和40年代まで染屋として使われていました。

写真:旧杉原家住宅

旧杉原家住宅

内部には現役の藍甕があり、藍染めの体験ができます。藍甕には熟成度合いがあるそうです。最も熟成=発酵が進んだ藍甕を開けてくれましたが、とても近づけるものではありませんでした。ましてそこで作業をするとなると相当慣れていないとできないので、体験には発酵が余り進んでいない藍甕を使うそうです。

写真:旧杉原家住宅の藍甕(12個もあります)

旧杉原家住宅の藍甕(12個もあります)

次は会津田島のまち歩きです。田島は幾度となく通っていますが、父の仕事の関係で法務局に寄ったぐらいでまちのなかを歩いたことがなかったので、こんなに色々あるのかと…会津西街道の重要な宿場で幕府直轄の“天領御蔵入”だったので当然なのですが。

まちの背後、城山の山麓に旧南会津郡役所があります。1885(明治18)年建築の、洋風木造2階建てです。同時期にこのような庁舎が県内十数カ所に建てられたそうですが、その中でも北会津郡役所に次ぐ規模で、保存状態も非常によいとのことです。1970年、写真左側の田島合同庁舎を新築する際に曳家し、90度向きを変えて現在の場所に復元されました。

写真:旧南会津郡役所

旧南会津郡役所

建物も素晴らしいですが、ガイドしてくれるおばさんの勢いと魅力に圧倒されてしまいました。この方に会うだけでも行く値打ちがあります。町並みや建築の魅力はハードだけでなく、そこに関わっている方の個性が加わることでさらに高まることをあらためて感じました。

次は田島の中心を通る会津西街道に面した昭和9年創業の「旅館和泉屋」です。

写真:和泉屋旅館の看板

和泉屋旅館の看板

さまざまな材を使い凝った意匠の宴会場。思わず天井を見上げているのは講師の藻谷浩介さん。朝、奥会津博物館まで車でお送りしたのですが、この日は広島カープの優勝が決まる日で、熱烈な広島ファンの藻谷さんと野球の話しで盛り上がって道を間違え遅刻…ご迷惑をおかけしました。

写真:和泉屋旅館の宴会場

和泉屋旅館の宴会場

和室の意匠も非常に手が込んでいます。

写真:付書院の繊細で上品な障子の組子と欄間

付書院の繊細で上品な障子の組子と欄間

写真:欄間の優美な富士山

欄間の優美な富士山

戦後、進駐軍の指定旅館に使われ、洋風の応接室や客室などがあります。

写真:アメリカ軍関係者が食事をした部屋

アメリカ軍関係者が食事をした部屋

建築的にも歴史的にも見どころが一杯で泊まってみたい旅館です。

再びまちを歩くと石造の立派な建物がありました。栃木の大谷石を使っているので相当お金をかけたのではないでしょうか。お医者さんだったそうですが、今は使われていないとのこと。もったいない…

写真:大谷石造の元医院

大谷石造の元医院

会津田島には、京都、中の津島(愛知)とともに日本三大祇園祭のひとつ会津田島祇園祭があります。4つの大屋台(本屋台、中屋台、上屋台、西屋台)があり、7月22日~24日のお祭りが終わると解体していたそうですが、現在は組み立てたまま保管庫に収められています。宵祭には大屋台の舞台で子供歌舞伎を上演しながらまちを巡行します。

写真:会津祇園祭の中屋台

会津祇園祭の中屋台

和泉屋鮮魚店は、古くさい店構えに惹かれて撮りました。後で聞くと私が好きな「にしんの山椒漬け」が美味しいとのことで、翌日、買って帰りました。「にしんの山椒漬け」は会津の郷土料理で身欠きにしんを山椒の葉と実がたっぷり入った醤油に漬け込んだ保存食です。にしんの生臭さが残るのが普通ですが、和泉屋のものは下ごしらえが違うのかまったく臭みがありませんでした。

写真:会津田島の和泉屋鮮魚店

会津田島の和泉屋鮮魚店

まち歩きのゴールは田出宇賀神社です。会津田島祇園祭はこの神社と熊野神社のお祭りです。会津らしい姿の山々が神社の背後に連なっています。穏やかな山形が木々に覆われるてさらに柔らかく見えるのが会津の山々です。

写真:田出宇賀神社の鳥居と会津の山々

田出宇賀神社の鳥居と会津の山々

午後は室内での分科会です。はじめに藻谷浩介さんによる「南会津の存続を考える」という講演。

写真:藻谷浩介さんの講演

藻谷浩介さんの講演

全国的に人口減少と高齢化が進んでいるが、実数で見ると最も深刻なのは東京であり、高齢化に対応するためこれから福祉に膨大な費用がかかってくる。地方都市や山間部などは、高齢化が進むといっても実数が少ないので財政負担はわずかである。地域内で人やお金が回るようにすれば消滅するようなことはない。地域の個性を魅力に感じる人びとも増えている。地産地消ではなく“地消地産(観光で人を呼び込む前に、自ら地元のものを消費し、なければつくってみよう)”から始めよう…と『里山資本主義』のエッセンスのようなお話しでした。

その後、3グループに分かれて、参加者の外からの目で見た田島の地域資源(ハードもソフトも)や魅力を地図にマークしながら、田島のまちづくりについてアイデアを出し合いました。

写真:最終日の全体会場に展示された第5分科会ワークショップのマップ

最終日の全体会場に展示された第5分科会ワークショップのマップ

第39回全国町並みゼミ(その1)

榎田基明

町並みゼミ第1日目は、開会前に前日の理事会参加者による会津若松の七日町界隈の見学に参加しました。

七日町は「なのかまち」とも「なぬかまち」とも呼ばれ、越後、米沢、下野方面への街道口として江戸時代には旅篭屋や商家が建ち並び、明治以降は商業の集積地として多くの銀行が出店したりしました。昭和後半にはかなり衰退していましたが、古い商家建築や銀行などの近代建築が多数残っていることから最近は訪れる人も増えているようです。確かに20~30年前は満田屋と漆器の白木屋ぐらいしか目につきませんでしたが、店舗がかなり増えていて、のぞきながら歩くのが楽しくなりました。

最初は、田楽で知られる「満田屋」です。夏に郷里の栃木へ帰省すると必ずといってよいほど行くお店です。餅、しんごろう餅(ご飯を半分つぶして餅のようにしたもの)、里芋、身欠きにしん、厚揚げ、こんにゃくなどを長さ30cmもある太めの竹串に差し、柚子みそ、甘みそ、じゅうねん(エゴマ)みそ、山椒みそなどをつけて囲炉裏で焼いて食べます。1本1本が大きいので4~5本でお腹一杯になります。

写真:満田屋の外観

満田屋の外観

次は「渋川問屋」です。元は商家だった建物を郷土料理の店としてリニューアルしています。店は大正時代、土蔵は明治時代の建築だそうです。土蔵に使われているのは蔵の街・喜多方の土蔵によく使われている三津谷煉瓦です。

写真:渋川問屋の外観

渋川問屋の外観

写真:渋川問屋の土蔵

渋川問屋の土蔵

銀行など洋風の建物も幾つかありますが、これは呉服屋さん。今はスポーツ用品店に使われています。

写真:洋風建築の元呉服屋さん

七日町の西端にある阿弥陀寺は慶長年間創建という古い歴史を持つ浄土宗のお寺です。本堂左に見える少し変わった建物は、鶴ヶ城(会津若松城)にあった「御三階」を廃城後に移築したものです。外観は3階ですが内部は4層になっています。城内では密議所や物見櫓に使われていたそうです。

写真:阿弥陀寺の本堂と御三階

途中、会津木綿のお店があったので、名刺入れを購入しました。柔らかい手触りで、ホッとします。

写真:会津木綿の名刺入れ

他にも魅力的な建物やお店もありましたが時間が来てしまい、下郷町の会場へ向かうことにしました。途中、町並みゼミ第2日目の会場のひとつになる大内宿で昼食にしました。

大内宿は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。今はほとんどの家が蕎麦屋や土産物屋になっていて、休みともなると観光客が多く、というか多すぎるような…地元で生活が成り立つようになったのはよいことですが、なんとなく違和感もあります。

私が初めて大内宿に行ったのは小学校5年生(1974年)の5月頃でした。今では一般的になった町並み保存も、わずかな地域で動きが始まったばかりの頃です。訪れる人もなくお店もなかったように記憶しています。その時、父が撮った写真が残っていましたので、同じ場所で撮影してみました。

写真:1974年の大内宿

1974年の大内宿

写真:2016年の大内宿

2016年の大内宿

1974年当時の写真をもう1枚。大内宿を背に立っている3人の中央が小学生の私です。

写真:大内宿を背にした記念写真

同じフィルムにこんな写真もありました。おそらく中山風穴の展望台から見た下郷町の農村風景です。中央を国鉄会津線の蒸気機関車が牽く貨物列車が走っています。

写真:会津下郷の農村を走る会津線の蒸気機関車が牽く貨物列車

さて、ようやく町並みゼミ開会です。初日は全体会で対談、開催地や各地からの報告、地域ブロック別の会議、交流会などです。

今年度、全国町並み保存連盟では、小樽運河の保存の先頭に立ち、全国の運動にも大きな影響を与えた故・峰山冨美さんの業績を顕彰する「峰山冨美賞」を創設しました。その1回目の受賞者に、広島県福山の鞆の浦の保存活動を続けている松居秀子さんが選ばれ授賞式が行われました。

写真:峰山冨美賞を受賞した松居秀子さんのあいさつ

峰山冨美賞を受賞した松居秀子さん

松居さんとは町並みゼミを通じて15年ほどのおつき合いになります。これといって何も支援はできていませんが、時々鞆の浦に行ってお話を聞かせてもらうことがあります。一見、おっとりしていますが、活動的で芯の強い方です。鞆の浦はここ2年ほど行っていないので来年は久しぶりに行こうと思います。

錦秋

桜井郁子

洛西ニュータウンの竹の里サブセンターにて開かれた「竹の里わくわくマルシェ」にでかけてきました。

写真:竹の里わくわくマルシェのプログラムのひとこま

当日はあいにく雨が降ったり止んだり、今ひとつすっきりしない空模様でしたが、思いの外、参加者があったようです。到着が遅れたため、少々出遅れた感がありましたが、お野菜やラスクや小物を買い、プログラムもほんの少し参加することができました。

写真:洛西ニュータウン・西竹の里の並木道

洛西ニュータウンといえば、立派な並木道。そして季節は秋。

写真:洛西ニュータウン・西竹の里の並木道

錦秋と呼ぶにふさわしい、立派な木々と紅葉でした。

JIA静岡のまち歩き

桜井郁子

古い友人のお誘いで、静岡県三島市にある源兵衛川まで出かけてきました。

写真:源兵衛川の「遊歩道」を歩いていると素敵なカフェに巡り会える

源兵衛川の「遊歩道」を歩く

川の中には通常であれば何もつくることはできないのですが、下水道が完備されていなかったために、かつてこの川には住宅の雑排水が流れ込んでいました。その水を処理するための浄化施設が作られ、その浄化施設の管理用道路ということで、この「遊歩道」は存在しています。下水道の完備された現在、それでも川と近づけるこの「遊歩道」のおかげで川の状況を知ることができて、立派に川の管理に役立っていました。

富士山の麓に降った雨が地下水となってあらためてわき水としてこの川に出てくるのに90日というデータもあるようです。場所によっては川と富士山を一緒に眺めることができて、その90日間の水の旅を想像すると楽しいですね(ジュールベルヌは80日間で世界を一周するというのに)。

写真:三島のまちなかに唯一残された給水塔

三島のまちなかに残された給水塔

まちなかにはいわゆる町内毎くらいの単位でこのような給水塔が設置されていたようです。今では金属製の給水タンクが活躍しているようですが、コンクリート製のこんな(ごつい、でも愛嬌ある)給水塔はこれが最後の一つのようです。

写真:三島のまちで見かけた避難路

三島のまちで見かけた避難路

こんな避難路は初めて見ました。滑り台ですよね。滑り降りた先が・・・かえって怪我しそうな気もします。

写真:三嶋大社(本殿、弊殿、拝殿)

三嶋大社

そして最後に三島市といえば三嶋大社。普段は玉垣(写真左手の石造りの垣)までしか近づけないところ、今回は瑞垣(玉垣の背後に見える本殿を囲む木製の垣)まで近づかせてもらえました。本殿を間近で見るとやはり圧巻です。もちろん神聖な場所ですから写真は禁止。瑞垣の隙間からのぞく精巧な彫刻にため息をつきつつ、しかし、これだけ立派な木材を使用してもやはり劣化は避けられないということで、庇が追加されていたり、様々な工夫をお聞きすることができました。

「東山何でも探検隊」の記事を転載していただきました

榎田基明

今年の5月に「東山何でも探検隊 ―東大路と四条通を歩く」という記事を掲載しましたが、その記事を「くらしと自治 京都」(京都自治体問題研究所)9月号に転載していただきました(このリンク先からダウンロードできます)。文章はそのままで、紙面の都合で写真が何枚か省略されていますので元のブログの記事を見てもらう方がよいのですが、紹介だけしておきます。

その後の四条通の様子はきちんと見ることができていませんが、懸念していたとおりバス停で後続のクルマが詰まる状態がかなりひどかったようで、バス乗降時間短縮のために歩道上での改札が行われるようになりました。バスでの車外改札は全国初のようですが、広島駅前では路面電車降車時の改札をかなり以前からホーム上で行っています。

車外改札の効果なのかシルバーウィークのバスの遅延はそれほどでもなかったとの報道がありました(京都新聞 2015年10月2日)。そうはいっても遅延が発生していることは周知の事実ですので、やはり「通過交通の規制」と「バス系統の大幅再編」は必須ではないかと思います。この2つの課題に手を付けないとなると観光シーズンの度に「四条通また大混乱!」というようなニュースが飛び交うことになるのではないでしょうか。